ベルリン・戦争の爪痕。

今日はベルリンの暗い部分、でも決して目を背けることはできない部分をお伝えしたく思います。

ベルリンの街を歩くと、道ごとで建物の雰囲気がガラリと変わることに気づくと思います。
例えば、この通り。左側の建物の窓のサイズが全て一緒で、ちょっとした違和感を感じませんか?
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これは旧ソ連社会主義時代の東ドイツの建物です。

歴史の教科書に出て来る通り、社会主義は、「資本主義が人間の欲望と競争主義に立脚した理不尽な思想」であるという考えから、私的財産の制限、ないしは撤廃をめざす思想として誕生したものです。そのため、全てのものを均一化する思想があり、住居を含む建物も、このように均一なものとなっていたのです。

ただ、それがのちに、人々の労働意欲を減らし、経済成長の妨げとなっていくわけなのですが、、、。
東ドイツ側の建物の脇には、未だにこのような旧水道管の名残があり、街の中、たった数十メートル間で社会主義時代の雰囲気を感じることができます。
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1989年に東西統一がなされて、もう四半世紀も経ったわけですが、未だに街は開発途中であり、戦争の爪痕がたくさんあるのです。

また、地下鉄にもその名残が見られます。
こちらのNord駅を降りると、地下の駅構内に大変興味深い展示を見ることができます。
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ベルリンには東西が分断する以前から鉄道・地下鉄があり、当然ですがその頃は東も西も関係なく路線が張り巡らされていたわけです。

そして、壁が存在した時代、それらの鉄道がどうなっていたかというと、以下の通り。
西ー東ー西と、地下を走る鉄道3路線は東ベルリン側の駅は全て封鎖され、「ゴーストステーション(幽霊駅)」になっていたそうです。
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ただ、中には地下鉄のトンネルを通って、東側から西側への脱出に成功した人もいるようで、この地下鉄には詳しい脱出ルートが紹介されていましたが、それらを防ぐために、東ベルリン側の駅ホームは東ドイツ軍が監視していたとのことなのです。マロ母、世界史をしっかり勉強して来なかったことをちょっと後悔しました。

さらに、一緒に同行していたドイツ人の友人から、こんな話も聞くことができました。
彼の幼少期、ドイツはまだ東西分裂時代だったわけですが、東ドイツから西ドイツに旅行することは(一部を除いて)不可能でしたが、西から東には旅行することが可能だったそうです。(無知なマロ母、それもビックリ!でした。)
そして、西側に住んでいた友人は、夏休みに家族で東側のおばさんの家に遊びに行くことになったそうです。もちろん検問チェックは厳しく、ほとんどのものは持ち込み不可だったとか。そして、東側のおばさんの家に到着し、隣の家から何から全てが奇妙なほど同じであり、物が全て配給で、数十年前のような貧乏な生活をしている姿を見た時に、友人は幼心ながら激しいショックを受けたとのことでした。そんなことを知らないおばさんは、「今日はこの街で一番のレストランに連れて行くね!」と嬉しそうな顔で話したといいます。訪れたレストランもまた、給食の配膳のような場所であり、とても街一番とは思えず、友人は料理を残してしまったとのこと。幼心にどれだけの影響があったのか、切ない話でした。

後にこのおばさんは、60歳を過ぎて仕事を退職し、西ドイツを旅行することを許された(東から西に行けるのは、退職して社会に影響力がなくなった老人のみだった)わけですが、西側の目覚ましい発展に愕然とし、こっそり東から持ち込んだ新聞を見せて、「情報操作」に嘆いたと言います。

現地の人から聞く話は、本当に重みがあり、同じ第二次世界大戦の敗戦国出身者としては、非常に考えさせられるものでした。

さてさて、もう少しベルリンの影の部分を見て行きたいので、マロとフェリックスは地下鉄に乗って移動です。
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こちらは、2005年に開設された、ホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑です。1万㎡以上の敷地にコンクリート製の2000基以上もの石碑がグリッド状に並び、多様な高さで連なっています。
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地下にはホロコーストに関する情報センターがあり、ホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されています。

マロもこの記念碑の前で、平和を願って一枚。
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日本は現在、第二次世界大戦から続く、近隣諸国との問題を多く抱えています。
マロ母には何が正しくて、何が間違っているかは分かりません。

ただ一つ、ベルリンを訪れて思ったことがあります。
日本は復興に関してかなり早い、素晴らしい国だと。それと同時にどうしてもそういった爪痕が見えにくくなる面があると。ベルリンは25年経った今でも、誰もが肌で感じるくらいの戦争の跡が残っており、誰にも忘れることができない場所です。日本は戦後も、その他の震災や災害後も素早く対処し、努力で街の復興に努めて来ました。その代わり、どこで何があったかが、目に見えて分かりづらく、その事象が風化しやすくなっているのも事実かと思います。そしてそれら過去の反省や努力が、若い世代に伝わりにくくなっているのもまた事実です。

日本が今まで過ごして来た道を、どんな過去であれも、そんな形であれも、少しでも忘れずに後世に伝えられるように努力していくこと。それは私達の世代の責任なのだなと、改めて思った次第です。

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Topic : 柴犬
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No title

友人の実体験は強く印象に残る話ですね
こういった影の部分は「負の遺産」かもしれないけど
目を背けずに後世に伝えていかなければならないことですね
貴重な話をありがとうございます

No title

>よしえさん
教科書の中だけの出来事だと思っていた事でも、こうして身近な人の体験を通してふれると、より一層深く心に刻まれます。こういう記念碑的な場所はとても大事ですね。決して観光だけで終わらせないようにしないと、と思います。
プロフィール

黒柴マロ

Author:黒柴マロ
名前:マロ(まろ、麻呂)
年齢:7歳
誕生日:2009年5月27日
性別:♂
犬種:柴犬(黒)
出身地:東京(大江戸小町)
血統書名:松の力石号

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