マロ、ベルリンの壁の前で。

今日は前回に引き続いて、歴史的に重要な場所のご紹介です♪

ここはベルリンの壁記念碑で、ベルリンの壁の一部が国境線や監視塔と共に残されています。ここでは、国境施設がどのように構築されていたかを見ることができます。
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マロ母、しっかり世界史の勉強をして来なかったので、当日、ドイツ人の友人とデンマーク人の友人に詳しい解説をしていただきました。さすがヨーロッパの方々はこの時代の歴史に詳しく、近代史に弱いマロ母はちょっと恥ずかしくなってしまいました(^^;)

実はマロ母、さらに恥ずかしながら、ここに訪れるまでベルリンの壁って東ドイツと西ドイツを分け隔てる為の壁だと思っていました(汗)。実は旧東ドイツと西ドイツの分け方は以下のようになっており、首都であるベルリンのみが小島のように東ドイツ内にぽつんと、西ドイツ領として存在していたのでした。
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これには理由があります。第2次世界大戦でドイツと戦ったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国はドイツを分割して占領しました。そして首都だったベルリンも、これら4か国の間で分割され、占領されました。ソ連がベルリンの東側半分を取り、アメリカ、イギリス、フランスは西側半分をほぼ3等分して占領しました。このベルリンの分割占領こそが悲劇の始まりでした。

 特にソ連が占領していた東ベルリンでは、社会主義的な統治が敷かれていました。市民はこれを嫌って東から西ベルリン側に移り住んだり、東側に住みながらも稼ぎのいい西ベルリンへ通勤する人が増えていきました。どういうことかというと、社会主義では賃金は一律なのに、生産ノルマ引き上げなど労働者への締め付けが厳しくなっており、市民の不満が溜まっていったのです。こうなると、東ドイツ・ソ連にとっては困った事態になります。戦後復興に欠かせない労働力が、どんどん西側へ流出してしまっては、計画経済が成り立たないからです。東ドイツは、こうした人口の移動を非難し、防止に躍起となりましたが、東西間の生活水準の差は明らかでした。そこで東側がとった策が「壁」の建設だったわけです(上記写真右)。西ベルリンを壁で強引に囲ってしまい、交通を物理的に遮断することで、労働者を西側に逃がさないようにしたのです。

つまり壁とは、「西ベルリン全体を東ドイツの中で封鎖し、孤立化させたもの」なのです。だから壁は西ベルリンの周囲、約165キロに渡って存在していたのです。
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こちらのマロとベルリンの壁の写真は、過去の記事では白黒写真でご紹介していました。
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この壁ですが、建設後に色々改良されました。最終的には警備をしやすくするため、以下の図のように、壁の裏を数メートルから数十メートルの幅にわたり無人地帯にし、番犬を放ち、警報装置を取り付けました。
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また、越境する者がいないか見張るための監視塔も建てられました。(下記写真)
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このように、亡命を阻止するためにあらゆる工夫を凝らし、しっかりした封鎖体制が築かれるようになりました。ちなみにこの時に壁を見張っていたのは国境警備隊という軍隊組織でした。
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つまり「壁」は単に障害物としての存在だけでなく、西ベルリンを周囲から完全に切り離し、東側からは絶対に越えさせないようにするための道具となったのです。そして、そうすることで東独の市民にとって西ベルリンは存在しない街、存在してはならない街になったのでした。事実、東ドイツが発行したベルリンの地図の中には、西ベルリン部分は空白になっていて、道路も鉄道も記されていないものがありました。

しか〜し、1989年になると、東ヨーロッパ諸国が相次いで民主化されていきます。東ドイツではデモが多発。

人材の流出を防ぐため1989年11月、東ドイツ政府は海外旅行自由化法案を発表しますが、手違いにより国境警備隊への連絡の前に生放送で記者会見が行われ、さらに会見を行っていた東ドイツ政府のスポークスマンであるシャボウスキーが「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と誤って発表してしまいました

それにより、東ドイツ市民が壁に押し寄せ、大混乱!国境警備隊員は東ベルリン市民の暴動と思い込んでとっさに検問所のゲートを開けてしまい、壁の崩壊となったわけです。

マロはすごい歴史的建造物の前に立っているねぇ。
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こういったものを間近に見ると、人間の一つの決断だったり、過ちだったりが、いかに歴史を左右して行くのかと思ってしまいますね。。。

今回は長くなってしまい、もはや犬ブログでも何でもなくなってしまいましたが、マロと一緒にみた歴史をを、少しでも皆様にお伝えできたら嬉しいです。

おまけ:
こんな重要なモニュメント前でも、芝生があると公園と間違えて、遊びを始めてしまった二匹。。。
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もうちょっと、シリアスになってよ。。。


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Topic : 柴犬
Genre : Pet/Animal

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Private comment

No title

私もマロ母さんの同じで、東西をわけるように壁が
作られていると思っていました
お恥ずかしいです
けどマロ母さんのおかげで、またひとつ勉強になりました
いつもありがとうございます

それにしても2匹ともムキッ歯でスゴイ顔!!
このあと暴動が勃発したのかな?

No title

>よしえさん
やはり東西ドイツを区切る壁というイメージがあるのでしょうかね??ベルリンの壁崩壊も真っ青の黒柴同士の暴動が起きたようです(笑)
プロフィール

黒柴マロ

Author:黒柴マロ
名前:マロ(まろ、麻呂)
年齢:7歳
誕生日:2009年5月27日
性別:♂
犬種:柴犬(黒)
出身地:東京(大江戸小町)
血統書名:松の力石号

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